back home - www.miroito.com

_______________________________________________

神仏への思い   たおやかなる奈良 
_______________________________________________

伊藤 みろ

  奈良を訪れるとき、こころであれ、想いであれ、かたちあるものと見えないものが呼応し合い、夢のような珠玉の体験を紡(つむ)いでくれます。「まずは神仏のおかげ、残りは人間の技」という1300年の伝統のなかで、私たちの心が神仏と出会い、歴史と響き合うことができるのです。

 私自身、「いかに生きるべきか」という問いかけをしながら、ドイツへ美学研究者として渡り、写真家に転身しました。生きることの無常さにあって、一瞬の中に永遠性を射止める写真に、芭蕉の俳句と同じような「永遠のいま」を感じたのです。それ以来、写真を通して、見えている世界の深淵に横たわる、聖なる世界の煌(きら)めきそのものである、「いのちの根源」との出会いを求めてきました。その後アメリカに移住し、9・11同時多発テロを契機に、いのちの儚(はかな)さとともにあっても、生きる喜びとなる「支え」を求めて出会ったのが、奈良です。

 その「支え」とは祈りそのものです。東大寺では8月 15 日に万灯供養会が行われ、黄昏(たそ・がれ)の紺青に染まる空を背景に、大仏殿の観相窓(かんそうまど)が開き、金色に輝く大仏さまを拝顔できます。

 大仏さまは、悟りを開かれた仏陀その人のお姿であり、同時に際限なき宇宙を遍(あまね)く照らす光として、つねに私たちの精神に降り注ぐ光となって、生きておられることを感じます。

 いっぽう春日大社の万灯籠(とうろう)は、一言に託された「思いの丈」との出会いです。ほの暗さとほの明るさの小さな「間」である灯籠は、悠遠なる時の行者のように、過去の人々の思いを未来へ運びます。そして煌(きら)めく光の回廊の中で、神さまとの逢(あ)い引きを演出してくれるのです。

 奈良を訪れると、私たちの生も、絶えず変化し永遠に流転する生命の循環のなかでの、束の間の「行い」にすぎないことを感じます。その中で変わらないものがあるとするならば、それこそが神仏の尊さなのではないでしょうか。

 それは宗教間で戦争をするような排他的な信仰心ではありません。無常なる生の限られた時間のなかで、精神の光の行き着く先に、平和を見つめること。私たちが助け合い、支え合い、補い合っている他のいのちと一つであることに気づくことなのではないでしょうか。

(「毎日新聞 [ 西日本地域版 ] 」 2010 年 8 月 4 日夕刊「あおによし〜奈良の都は 1300 年」特集にて掲載)
___________________________________
_____________

back home - media art league