MIRO ITO (伊藤みろ) ブログ「光の道を求めて」

『心のすみか奈良 いのちの根源なるものとの出合い』好評発売中

 
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Blog: 2010.2.26

 

 『心のすみか奈良 いのちの根源なるものとの出合い」発刊のご案内

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書名:心のすみか奈良 いのちの根源なるものとの出合い  

著者:伊藤みろ(写真・文)

    企画・編集 メディアアートリーグ

    出版社:ランダムハウス講談社 (4月1日より「武田ランダムハウス」に社名変更)

    刊行日:2010 年 2 月 24 日     

定価:2,000 円(本体 1,905 円)  判型:A5 上製 ページ数: 144 ページ

    ISBN: 978-4-270-00564-4

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   今年は日本の都が平城京に遷されて 1300 年になりますが、 1000 年、 1500 年という単位の年月は、想像を絶するスケールです。それを「いのちと祈り」の景観として、現代の私たちにも「見える」かたちで連綿と伝えてきたのが、奈良の精神文化の「奇跡」のような神仏習合の伝統です。

    20 年前に「ベルリンの壁」の崩壊を東ベルリンで体験し、そして NY で 9.11 同時多発テロを経験した私が、「いのちの根源なるもの」を求め、探し続けてきた答えは奈良にありました。その私自身の「求道」の旅の経緯を、奈良の 1400 年の叡智に学ぶかたちで、「いかに生きるべきか」のメッセージとして、このほどフォトエッセイとして書き下しました。

   新しい本は『心のすみか奈良 いのちの根源なるものとの出合い』(ランダムハウス講談社)という題です。

   「 9.11 」以降、私なりにアートを通して平和を伝えようと進めてまいりました「メディアアートリーグ」の活動として、アーティスト自らが発案する「メディア=メッセージ」として、精神の啓蒙を訴えるものです。

    2004 年に日本に戻って以来、奈良の精神文化についての 6 年の取材の成果を、まずは奈良シリーズ第一弾として「ことば力」+「伝統力」 + 「写真力」の融合を基軸に、同書にまとめました。

   「ことば力」では、まず総論として私自身の「いのちの根源なるものとの出合い」を、東大寺の「 9.11 」当時の管長だった橋本聖圓長老に宛てた手紙として書き綴りながら、仏陀や奈良の伝統に基づき「いかに生きるべきか」について橋本師よりお教えいただきます。

   またインタビューによるご講話は、東大寺前管長の森本公誠長老から始まります。森本長老はイスラム史の権威としても知られる奈良を代表する高僧のお一人です。続いて唐招提寺からは、執事の西山明彦師から、鑑真和上の知られざる功績についてのお話を、また日本最古の寺院である元興寺(飛鳥寺の後身)の辻村泰善住職からは、深いながらも大変分かりやすい仏教入門をお話いただきました。さらに春日大社・岡本彰夫権宮司から「誇りをもつこと」「道をいくこと」の大切さともに、神道入門を兼ねた日本文化論を披瀝いただいています。

   また「古寺・古社・古儀」に学ぶ「伝統力」の地平では、東大寺、唐招提寺、元興寺、春日大社に代表される奈良の世界遺産の伝統行事を写真にてご紹介いたします。東大寺の修正会〜修二会(お水取り)〜燃灯供養・万灯供養、唐招提寺の修正会〜うちわまき、元興寺の地蔵会万灯供養、そして春日大社の万燈籠を通して、日本の最初の都であった奈良の伝統行事の「極み」といえるような、精神の深みに触れていただけることと存じます。それは同時に解説として書き下しました「日本文化の深層への旅」を誘うものです。

   日本の「心のすみか奈良」である奈良に継承されてきた 1400 年の叡智に学び、いまこそ「心、本来のあり様」を見つめ直すときなのではないでしょうか。

   奈良の伝統から現代の私たちに贈る、鮮烈な未来へのメッセージとして、ひとりでも多くの方々に読んでいただきたいと願っています。

   奈良で「いのちの根源なるもの」と出合った私の経験を本書を通して、皆様にもご共有いただければ幸いに存じます。

   平城京遷都 1300 年の記念の年に、日本文化の曙である奈良を「精神」としてぜひご体験いただきたいと願いつつ、ご案内に代えさせていただきます。

   なお本願成就を期しまして、昨年よりこれまで漢字の雅号「美露」から「みろ」とひらがなに改めました。

   引き続きどうぞご支援のほど宜しくお願いいたします。

  伊藤みろ メディアアートリーグ

  2010/2/26

 

 



Blog: 2009.6.2

 

 新たな挑戦の始まり

いつの間にか、6月になり、今年も早くも後半に差しかかりつつあります。

これまで5年がかりで日本の精神文化の伝統を世界に発表しようと創ってきた作品をどう形にするか、国際的な将来展開の鍵となるだけに、この数ヶ月間、正念場といえる大きなチャレンジが続いています。

昨秋からの世界的な不況の底が未だみえない中、本当に、さまざまなレベルでの「変革」が待ったなしで切望されています。私自身は、こんな時代だからこそ、改めて世界の平和への願いをこめて、もてる能力を捧げ、最大限の努力をしたいと誓っています。

その一つの方向性として、すべてのいのちが自然の一部であるという包括的な生命観に、いま一度立ち戻らざるを得ないのではないでしょうか。そうした「いのちの願い」を写真や映像を使って見えるかたちにするのが、私の「9.11」以来のアーティストとしてのライフワークになります。

そうした気持ちを抱きながら、私自身、旧来型の価値観という殻を脱ぎ捨て、「みろ」になって半年が過ぎ、改めて世界のために、平和のために何ができるか、さらなるチャレンジを開始しました。

具体的には、今回の資本万能主義の崩壊に伴う反省から、今後必ず来るべきと信じられる「心の世界」への回帰に向けまして、じっくり将来展開を見据えながら、これまで「メディアアートリーグ」として活動してきた文化活動を、より公的なレベルに引き上げることを目指しながら、10年計画にて、NYに「アートによる平和活動」を促すNPO~NGOを立ち上げようと考え始めました。

もちろんそのための準備は、私自身の限界を何度も越えなければならい、膨大かつ遠大な作業になりますが、ひとつひとつハードルを乗り越えていきたい気概です。

ドイツ〜アメリカ〜日本を経てこれまで活動してきた私にとって、また新たな挑戦の旅が始まりました。

              *    *    *    *    *

さてその後、空の写真も、ずっと継続して撮り続けています。これからは再び頻繁にアップデートできるように、心の余裕を持ちたいと思っています。

今日お見せする空は、東京・上馬の空を覆った「天使の翼」です。
曇りがちだった5月の連休の晴れ間の一瞬に、空がその美しさを見事に垣間見せてくれました。

こうした空と向き合うひと時は、私にとっては「永遠の今」を体験するときで、大きな宇宙のこころに抱かれる瞬間です。
写真の楽しみも、自然の輝きが放つ大いなる愛の「まなざし」に見つめられ、その懐に抱かれる感動に尽きるのではないでしょうか。

半年ぶりのご挨拶になりましたが、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。

そしていつもご支援くださっている方々に、今一度心からの感謝をこめて...

2009年6月吉日
伊藤みろ

text and photo by miro ito, all rights reserved. skiy over kamiuma, 2009.5.4

 

 ☆☆☆☆☆☆☆☆  好評連載中 by 伊藤美露  ☆☆☆☆☆☆☆☆
 「極意で学ぶ 写真ごころ」(『アサヒカメラ』朝日新聞出版社)
 2009年6月号のテーマは「反射と映り込みの効果」

 ☆☆☆☆☆☆☆☆  日本図書館協会選定図書  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 『魅せる写真術 発想とテーマを生かす撮影スタイル』
 著:伊藤美露 定価 : 2,079円 B5判/160P/オールカラー    
 ISBN 978-4-8443-5921-0



Blog: 2008.10.21

 

「美露」 から 「みろ」 へ 蜻蛉のように軽く透明な存在へと

 

 日本に戻って5年が経過し、私なりにこの5年の成果をかたちにする時機になり、人生で一番忙しい半年間でしたが、忙しさの質が変わってきたというか、根を着々と生やした大地から芽が葺き出し、葉が広がり、幹が育ち始めている感触です。これから様々な新しい花を咲かせてくれることでしょうか。

 この間、ヨーロッパやアメリカにも足を運び、日本での5年間の成果を展覧会や本にするプロジェクトも動き始めています。 折から今年に入って世界があらゆるレベルで激震し始め、良くも悪くも新しい時代の始まりを予感させてくれる中、私自身、ひとつの時代の区切り(〜「魚座」の時代から「水瓶座」の時代へ〜)として、魂の輝きが本当に求められる時代の到来を願って、古い殻を脱ぎ捨てようと誓い新たにしました。

 こうした時代の変わり目に際し、日本で20年あまり使ってきたアーティスト名(漢字の「美露」)を、脱ぎ捨てることにしました。もともとドイツで写真家としてデビューした私は、「MIRO ITO 」の名を使っていましたが、88年のツァイトフォト(東京)での個展以来、日本名ではずっと「美露」を使ってきました。「美」を「露(あらわ)」にする生き方を選んだ覚悟を込めて_。

 当時はまだドイツで活動をしていましたので、ひらがなよりも漢字に惹かれていましたが、この5年間、日本文化の伝統の重みと、精神の深淵に魅せられた作品をつくっている関係で、ひらがなを初めて美しいと感じるようになりました。そして、新しい時代に向かって、日本発の「精神」の花を作品として大きく開かせる気持を込めながら、私自身はますますこころを蜻蛉のように軽くして、作品のこころに浸透していけるよう、ひらがなの「みろ」にすることにしました。

 この際、20年来の私自身のさまざまな「垢」を脱ぎ捨てることで、さらに溌剌と魂そのものとして輝き出したい、と誓っています。

 本当はずっとローマ字の「MIRO ITO」のままで十分だったのですが、20年も使い続けて来た漢字の「美露」にはいまでもとても愛着があります。古い名前との別れは、自分の分身との別れのようなものです。でもその分身といま敢えて別れることで、これまで知らなかった「半身」が新しい分身になってくれるかもしれません。失うことでしたか、得る事の出来ないものがあるのです。

 しばらくは『アサヒカメラ』での連載や著書などの名前として、「美露」の名も併用しますが、「みろ」と、これからひらがなに変えることで、さらにピュアに作品とともに輝きたいと願っています。

 これからは新しく生まれ変わった気持で、光を背にした蜻蛉のように透明な、未来へとふんわりと舞う羽のよう羽搏いていていきたいと願っています。

 これから 「伊藤みろ」をどうぞよろしくお願いいたします。

 2008年10月吉日

 伊藤みろ

 追伸 久しぶりに「天使のような雲」の空を撮りました。10月16日の空です。

 text and photo by miro ito, all rights reserved. skiy over kamiuma, 2008.10.16

 

 ☆☆☆☆☆☆☆☆  好評連載中 by 伊藤美露  ☆☆☆☆☆☆☆☆
 「極意で学ぶ 写真ごころ」(『アサヒカメラ』朝日新聞出版社)
 2008年の11月号のテーマは「写真の『構図』とは?」p.184 ̄187

 ☆☆☆☆☆☆☆☆  日本図書館協会選定図書  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 『魅せる写真術 発想とテーマを生かす撮影スタイル』
 著:伊藤美露 定価 : 2,079円 B5判/160P/オールカラー    
 ISBN 978-4-8443-5921-0



Blog: 2008.4.27

 

奈良 そして歴史という「生」の積み重ねへの感謝

 

 奈良に足を運ぶ度に心が洗われるのは、自然や人間を超えた宇宙の意思に生かされている、という気持にさせてくれるものとの出会いがあるからです。

 伝統の重みといえば月並みですが、身体行や芸を通して切磋琢磨をされてきた、僧侶や演者の方々の無数のかけがえのない「生」の蓄積と接することで、まさに日本の精神の核心に触れる思いがします。

 私が奈良を取材している中で、常に魂を揺さぶられるのは、こう古代からの人々からの「思いの丈」に触れる瞬間です。過去との出会いでありながら、変わらない何か、未来にも続いてほしい何か_
 それは私がテーマにしている「聖なるもの」たちへの敬虔な気持ちにほかなりません。
 「見えないもの」でありながら、形に託された尊きものへの祈りであり、そして奉納の気持です。

 こうした尊い気持ちを教えてくれるのが、私にとっては仏像であり、奈良の宗教行事であり、そして御能などの伝統芸能なのです。
 
 これまで奈良というテーマを、NY在住時より足かけ5年がかりで、取材を進めてまいりましたが、これからは展覧会や書籍ほか、さまざまなかたちで発表していきたいと思いますので、世界の多くの方々に見ていただきたいと願っています。

 さて4月初めに、先月に続いて奈良の桜井の夕陽を撮りに行きました。
 かの聖徳太子が見たであろう夕陽は、先月は日本最古の国立劇場跡の「土舞台」から撮りましたが、今月は土舞台を右手に眺める小高い丘から撮りました。

 太陽が二上山の袂に半分に割れて沈むさまが、感動的でした。
 山が「神格化」されたのは、太陽である「カミ」をお隠しになるからかもしれない、とそんなことを思ったほどです。

 太陽をまたたく間に懐深くに抱きかかえ、世界が明日また眠りから醒めるまで太陽を休ませる、そんな太陽の休息の場所が山なのでしょうか....

 この太陽とともに営み、沈んでいった無数の「生」への感謝をこめて

 2008年4月吉日

 伊藤美露
 text and photo by miro ito, all rights reserved.
 sunset over sakurai, 02.04.2008

聖徳太子の見た夕陽(桜井の土舞台横の土手から二上山に落ちる夕陽を望む


Blog: 2008.1.6

 

新年のご挨拶 「さくねんのわれに ことしはかつべし」

  2007 年がいつの間にか終わり、 2008 年が始まりました。

  地球温暖化をはじめ、世界がひとつの危機的な転換期にある今、私個人の昨年といえば、ドイツ〜アメリカ〜日本と 20 年がかりで旅して求めてきたものが、実は日本文化の源にあり、長年の「見えない本物」をもとめた旅がひとつ終わった年となりました。

  日本文化については、主に身体芸術を中心に、前衛から古典まで、これまで米国在住時より数えて 5 年がかりで取材をしてまいりましたが、それをひとつの形にできました。

 

  ★個展の作品 55 点が NY 公立図書館の永久コレクションになりました。

  昨年 10 月 15 日より NY での個展『 Men at Dance - from Noh to Butoh : Japanese Performing Arts, Past and Present (能から舞踏へ)』は、 NY 公立パフォーミングアーツ図書館にて開催されています( 2008 年 1 月 8 日まで ) 。

  http://www.nypl.org/research/calendar/exhib/lpa/lpaexhibdesc.cfm?id=474

  国際交流基金の助成のもと、在 NY 日本国総領事館の後援を得て「 NY 舞踏フェスティバル」とのタイアップ展として、同図書館の主催にて実現いたしましたが、出品作品 55 点は、 NY 公立図書館の永久コレクションに寄贈いたしました。

  撮影にご協力下さった舞踏家室伏鴻氏の「 Quick Silver 」、 Sal Vanilla の蹄ギガ氏・ KIK_07 氏他の「 inter-active 」 、御能の世界からは観世流シテ方の武田志房氏の「高砂」、武田友志氏の「絵馬」、武田文志氏の「敦盛」、そして金春流シテ方の金春穂高氏の「翁白式」など、スタジオでの撮りおろしによるコラボレーションの作品が、永遠に NY の公立図書館の収蔵品となり、今後、同図書館において教育・研究・展示目的のために、活用されることになります。

  ご支援いただきました皆様に改めて深く御礼申し上げます。

 

  ★新連載『極意で学ぶ 写真ごころ』開始

  昨年 6 月に上梓しました拙著『魅せる写真術』 (MdN コーポレーション刊、日本図書館協会選定図書、 ISBN 978-4844359210) にて、アナログからデジタル、アートからドキュメンタリー・広告の世界まで、写真家として培ってきた経験を次世代に託そうと、写真の教本を出版しましたが、この本の発刊がきっかけとなり、昨年 11 月号より『アサヒカメラ』誌(朝日新聞社)において連載が始まりました。

  奈良の宗教行事から能狂言、古武道まで日本文化の中から世界へのメッセージを焙り出そうと、これまでの日本での取材活動を通して、日本はすぐれた「極意」の国であることも実感できました。数多の天才たちが人生のすべてを捧げ、技に託した「かたち」、かたちを超えたこころのあり方を「極意」として探り出しながら、写真のとっておきの技を伝授する講座になります。

  モットーは「極意とは基礎なり」_。

  デジタル機材の急速な普及により、写真を撮ることは趣味以上に生活に密着した習慣になってきましたが、写真が日常の「記念品」を創るならば、せめて絵を描く時のような「絵ごころ」ならぬ「写真ごころ」を持ってほしい、そんな願いをこめて、写真を撮る「こころ」の大切さを説いていきます。

  日本やドイツで美学を学び、絵や写真を通して、美の世界に触れてきた私の持てるすべてを捧げる連載です。

  よろしければご高覧ください。

 

  ★惜しまれる "The Last SAMURAI" 、柳生新陰流前宗家・柳生延春師範逝去

  日本文化の取材を通して出会ってきた中で忘れられないお方といえば、柳生新陰流・柳生延春前宗家です。昨年 5 月 4 日、 88 歳にて永眠されました。

  ( http://www.yagyu-shinkage-ryu.jp/yagyu.html )

  戦前から戦後にかけて大転換した日本を古武道ともに生き、 500 年の道統を尾張の地に護り抜いた柳生延春師範の「武士魂」と兵法は、日本文化のかけがえのない文化遺産です。

  私が撮影させていただいた時間はごく短く、前宗家の最後の二年間だけでしたが、前宗家には、まさに「極意の世界」の一端を見せていただきました。

  前宗家がいつもおっしゃったお言葉は、

  「きのうのわれに きょうはかつべし」 ____

  88 年間、どんなときも剣の稽古を欠かさなかった柳生延春師範の日々の鍛錬を支えたお言葉です。いまその言葉の重みを改めて感じるとともに、日本の失った「最後のサムライ」の喪失の大きさに、深い悲しみを感じえません。

  延春師範の後を継ぐ柳生耕一現宗家の今後のご活躍を祈念いたすとともに、延春師範のご冥福を改めてお祈り申し上げます。

 

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  私も今年は、延春師範のこのお言葉を座右に置き、

  「さくねんのわれに ことしはかつべし」

  と、これまでの活動をもう一歩先に進めていきたい気概です。

  とりわけ、奈良を中心に日本の身体を通した「奉納」や祈りの文化を、古代から現代まで世界へ紹介する仕事をより包括的にすすめ、 2010 年を次なる目標に挑戦を続けていきます。

  今年もまた遠大な夢に向かって、さらなる研鑽を積んでいきたい所存です。

  本年もどうかご支援のほど、よろしくお願いいたします。

  2008 年 1 月

  伊藤美露

  ※柳生延春師範のお言葉「きのうのわれに きょうはかつべし」は、師範の著書『柳生新陰流道眼』 ( 島津書房、 1999 年刊、 ISBN 978-4882180623) にお書きいただいた筆になります。「氣」の漲った力強い筆致には、ありし日の師範の闊達した面影がいまも偲ばれます。


Blog: 2007.10.25

 

ウエールズ再訪  Anno Birkin 青年のこと

 

   リンカーンセンターの The NY Public Library for Performing Arts の個展「 Men at Dance - from Noh to Butoh by Miro Ito 」の方は、在ニューヨーク日本総領事館と国際交流基金の後援を受け、10月15 日より無事始まりました。

   リンカーンセンターはパフォーミングアーツのメッカとあって、世界中から舞台芸術に興味を抱き、また学びに来ている方々が訪れる場所ですので、このたびの展覧会開催の目的もそこにあります。ささやかですが、私の展覧会を通して、日本の伝統から前衛までの身体芸能の系譜が、少しでも多くの方々に知られるきっかけになればと願っています。

    NY ではまた「 2007 NY Butoh Festival 」も始まり、私がコラボレーションで作品を撮っている室伏鴻氏が公演とワークショップを開きました。 同時に今年 100 周年を祝う Japan Society でも、日本から大野一雄・慶人の両氏をはじめ、麿赤児氏など舞踏の大御所が参加され、「舞踏の秋」が大体的に繰り広げられたところです。

   その合間を縫って、NYからイギリス・ウエールズに再びやってきました。

 ウエールズへは 3 年半前に訪れて以来ですが、夭逝したイギリスの詩人でソングライターだったアンノ・バーキン( Anno Birkin )さんの故郷に再びやってきました。

   アンノ・バーキンさんのプロジェクトは、すでに私のホームページ ( http://www.miroito.com/anno1.html )や近著『魅せる写真術』や でも公開していますが、かの野村万之丞さんの偉業を伝えるプロジェクトが「太陽」だとすると、「月」のような位置づけです。私にとってはこちらもまた「招かれた」というか、不思議なご縁を感じています。

   長年ドイツやアメリカに住んでいたものの、イギリスとはほとんど縁がなかったのですが、いまはイギリスがどんどん好きになってきています。とりわけ、地位や教養もあるイギリス人の礼儀ただしさや分け隔てのない親切さには、一種の感動さえ覚えます。「ノブレス・オブリージュ (noblesse oblige) 」とは、高貴なものの義務とでも訳される精神ですが、イギリスでは、上層階級だけでなく、チャリティーなどの慈善活動やボランティアなどの奉仕行為が、人として果たすべき大切な社会活動の一環になっています。

   かくいうアンノ・バーキン青年のプロジェクトも、ご家族の努力により、アフリカの子供たちにアートや演劇を指導するプロジェクト「 Anno's Africa 」として育ちつつあります。具体的には、アンノ青年の詩集と CD の売り上げ等が献じられて、さまざまな活動に結びついています。詳しくは http://anno.co.uk をご覧ください。

   私がこれまでウエールズで撮ってきた写真や訳詩も、いずれ東京で新たに発表する際に、イギリスの「 Anno's Africa 」プロジェクトと連動させた国際チャリティー事業として育てていきたいと願っています。

   今日もこの先に続く未来が、どうか少しでも多くの慈愛に満ちたものでありますように ...

   伊藤美露


text and photo by miro ito, all rights reserved.


Blog: 2007.9.11

 

911から6年ー鎮魂と追悼の祈り

 

NYで体験した「September 11」から、今日でちょうど6年が経ちました。

かつてニュースキャスターの下村健一さんの依頼で、下村さんがキャスターを務めていた「ネクストステージ」
(BSジャパン)という番組での放映用に、詩を綴ったことがありました。

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三つの選択

「その瞬間」に立ち遇ったことで、
NYの人々には大きな選択の時がやってきた。

人間世界の暗黒への「怒り」と「怖れ」を選択し、苦悩し続ける人。
感情で受け止められる以上の「憤り」を感じて「正義の戦い」に邁進する人、
そして「怒り」も「怖れ」も「憤り」も乗り越えて、
人類の新たな「愛」の連帯に目覚める人。

その3つの選択が、写真家である私自身にもやってきた。
写真家として「惨事」を「警告」として伝える人。
「悲劇」を「ドラマ」として切り取る人。
そして「惨事」と「悲劇」の向こう側に、
鎮魂と追悼の「祈り」を見つめる人。

私にできることは、ただひたすら平和のために、
カメラを通して「祈り」、地球を、そして人類を
愛し続けていくことだけだ。

NYではそれでも毎日くり返し、同じ選択が人々の心を駆け巡る。
「怒り」か「祈り」か?
「制裁」か「対話」か?
「戦争」か「平和的解決」か ...?

(詩:伊藤美露、BSジャパン「ネクストステージ:特集ニューヨークの『いま』/
 ニュースキャスター、下村健一」 2001年10月6日放映より抜

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その後、私は「鎮魂と追悼の『祈り』を見つめる」選択をし、
身体を通して、見えない世界への橋渡しとなるような作品を作りたいと思い、
日本に戻ってきました。

私が伝えたいのは、身体という「衣」を脱ぎ捨てたとき、魂的にはすべての人が繋がっていること。
草木のすべてに仏性をみる仏教、万物にカミをみる神道など、表現の仕方は違っても、世界のすべてにいのちが宿り、
すべては支え合っていること。
このことにもう一度立ち還ることで、誰しも世界への愛、他者への愛を取り戻せるのではないでしょうか。

空が気づきとなるのも、人が大いなる存在に抱かれていることに目覚め、
大いなる自然との繋がりを、意識できるきっかけとなるからでしょうか。

同様に、身体を通して「いのち」というレベルから、
人間の存在の重みが改めて問われるとき、
初めてなにをなすべきかが見えてくるのかもしれません。

911から6年_。
今日も世界が少しでも新たな愛に目覚め、
平和への種をひとつでも育むことを願いながら、
鎮魂と祈りのために、
永遠へと向かう時間の中で、
光を見つめ続けていきたいと思います。

 

空に鎮魂と追悼の祈りを捧げながら....

合掌 伊藤美露

2007/9/11
text and photo by miro ito, all rights reserved.


Blog: 2007.9.05

 

野村万之丞さんのこと: 見えない本物を探る旅

 

長年海外で写真家・アーティストとして活動した後、私が立ち還ったのは日本文化です。
この3〜4年間は、日本文化の中の祈りだったり、奉納だったり、聖なる世界を見えるかたちにしようと思い、日本の前衛から伝統を繋ぐ身体表現に絞って、日本で撮影してきました。

ドイツやNYに住んでいた私が、なぜ日本の伝統芸能に興味を持ち始めたかというと、そのきっかけは、911同時多発テロ事件です。テロ後のアメリカの大国の論理と世界の混沌の中で、日本文化から世界に対して「共栄共存」のメッセージを発信できないか,というのがその動機になります。

文化的な土壌が違う西洋に対してメッセージを発信しようとするとき、「癒しの哲学」である仏教への関心が深まり、すべての人間に共通する「身体」という土俵から、アートに凝縮された祈りや奉納のかたちを焙り出したい、と思うようになりました。

そのようなテーマを追いかけているとき、不世出の総合芸術家で狂言師の野村万之丞さんとの出会いがありました。
野村万之丞さんは、才能も思考も行動も、天才のみが持つ破格のスケールで、日本を代表するだけでなく、世界的な(そしておそらく歴史に残るような)人物でした。その万之丞さんは、中世の幻の芸能といわれた田楽の復興の後、仮面を通して世界を繋ぐプロジェクト「楽劇 真伎楽」を携えて、シルクロードを逆流する「マスクロード」を推進中に、3年前、44歳の若さで急逝されました。
その後万之丞さんの遺した作品のうち、私が撮影していた写真を、ご縁あって写真集一周忌の回顧写真展をはじめいくつかの展覧会としてまとめたことが契機となって、日本文化の伝統の世界にどっぷりと嵌まってしまった訳です。

野村万之丞さんとのご縁以来、御能や古武道、奈良の宗教行事ほか日本文化の深淵へと取材を進めてきましたが、それは万之丞さんが「見えないシン(神、真、心、信、親….)と呼んでいた「見えない本物」を探る旅となりました。

その一端をこの秋、NYにて「御能から舞踏まで(Men at Dance - from Noh to Butoh : Japanese Performing Arts, Past and Present) 」と題して、「The NY Public Library for Performing Arts」にて個展として発表します (10月15日から1月5日まで、40 Lincoln Center Plaza, NYC, NY 10023)。

 

さて空を見ていると、時折、野村万之丞さんのことを思い出します。
とくに台風の時は….

野村万之丞さん(本名:耕介さん)は、まさに台風のような人でした。
生前は「伝統芸能界の風雲児」などと呼ばれていたようですが、風雲児などという生温いものではなく、まさに行く先々で嵐を巻き起こす人でした。
嵐のように衝撃的なことを軽々とやってしまうだけでなく、本当に天のエネルギーと直結しているように、有名な「雨男」「雷男」「台風男」でした。それだけ天に愛された人でした。

いつも大事な公演やお仕事のときには、大雨や雷、台風になったそうです。
案の定、3年前の葬儀のときも、最後のお別れのとき、晴れていた空が急に泣き出し、大粒の雨が降ってきたことが思い出されます。最後の舞台となった六本木ヒルズでの公演も、降り続く雨の中でした。

私は雨や雪、霰さえが降っていても「晴れ」てしまう根っからの「晴れ女」なので、野村万之丞さんとは正反対ですが、行く先々で晴れてくれなかったら、写真家にはほとんど不向きだったかもしれません。

思えば、歴史とは、台風のような衝撃的な存在が時々現れて、見えない世界を暴き、次なる時代への橋渡しとなるムーブメントの種を植え付けて、それが一般の人々の心の中に深く実を結んでいくことで、連綿と作られてきたのだと思います。

万之丞さんの撒いた種である「楽劇 真伎楽」は、この秋、中国へ渡ります。
そして私の「見えない本物」を見つめる旅は、さらに続きます….

晩夏の雷雲を眺めながら…

伊藤美露

2007年9月5日

(野村万之丞さん 撮影:伊藤美露 写真集『萬歳楽ー大きくゆっくり遠くを見る』より)

 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 『万歳楽ー大きくゆっくり遠くを見る 野村万之丞作品写真集』
 著:伊藤美露 定価 : 3,990円 大型本: 167ページ
 発行: 日本カメラ社 (2004/10)
  ISBN 978-4817920768
  野村万之丞さんのWebサイトhttp://www.tmdnet.jp

 

Blog: 2006.12.06

 

ウェールズの詩聖、アンノ・バーキン(Anno Birkin)

5月に出版される弊著『魅せる写真術』では、ウェールズの詩人でソングライターのアンノ・バーキン(http://www.anno.co.uk) の故郷を訪れたときの写真を8Pで公開しています。アンノは、絵本作家の安野光雅さんの作品が大好きで、Annoと名乗るようになったとか。私が3年前、NYから日本に戻ったときに、お父さんのAndrew Birkinさんから、アンノの詩を日本語に訳してほしい、という依頼がありました。『写真の教科書』では、訳詩までは掲載できませんが、いつかアンノの訳詩と写真を組み合わせた「詩写真集」を出してみたい、と願っています。ウェールズを訪れた様子と写真は、私のWEBでも公開しています。(http://www.miroito.com/anno1.html)

私の一番好きな詩人は、日本では宮沢賢治、そして小説『嵐が丘』を書いたエミリー・ブロンテ(Emily Jane Bronte、1818- 1848)です。そもそもアンノの詩を訳し始めたのも、エミリーの詩の世界に共通するものがあり、私自身、心が洗われる思いがするからです。

エミリー・ブロンテの詩は、静かな生の苦悩の中から、汎神的な自然の力に導かれ、自らの情熱の限りを尽くして言葉に昇華させる、そんな「精神」のもつ力強さがあります。その詩の世界では、生と死が同座し、歓喜と嘆息とが「言葉の翼」に乗って、精神の高みへと読むものを導いてくれます。アンノの場合は、20歳の生涯で1000篇ほどの詩を残しましたが,恋愛から世界の政治状況、自らの死の予感まで、若者が直面する「歓びとため息」とがある種の天の力に導かれながら、読むものの心をそっと浄化する作用があります。いじめによる自殺の事件が絶えない日本の若者にも読んでいただけたら、と願っています。

目下、アンノの詩もエミリーの詩も、日本語に訳し出しているところですが、詩の翻訳というのは、実に骨の折れる作業です。英語と日本語の構造の違いが、詩の中で大切な「語法」を非情なほど簡単に打ち砕いてしまうからです。韻なども踏もうものなら、言葉の選択に制約ができ、「枕詞」で苦労する俳人の方々の気持ちが分かります。解決法は、エミリーやアンノの詩の世界にまずは我が身を投げ入れ、彼らの目指す世界をともに想い見ること、彼らの魂の鼓動を感じながら、その「生」の喜びと苦悩を分かち合い、それと一体化すること。逆説的ですが、その作業はことばを越えた世界です。想念の中でまずは詩人の世界を体感する訳です。その作業を終えて初めて、ことばに置き換えていくができるのです。私の場合、日本語になる訳ですが、そうしてようやく私自身の表現として訳し出すことができます...

さて、この作業は、実は「写真家」の仕事ととても良く似ています。写真家も、すでに完成され対象や世界があって、それをどう自分の世界に導き入れ、表現として出すか、そのせめぎ合いがいつも瞬間ごとにやってきます。その作業の鍵となるのは「想い見る」という「こころ」の想像力です。まずは被写体に自分を投げ入れて、被写体が人ならば、その人になりきります。そうするとその人の魂の声が直感で聴こえるようになります。そんな直感への、最速1/5000分の一秒以下の「瞬間アクセス」をいつも働かせて、被写体が望むこと、求めること、夢見ることが、身体を通して伝わってくるのです。そんな作業を20年も行ってきたおかげで、いまは誰かとの新しい出会いがあると、"アクセススモード"をONにすれば、たいてい場合、その人の「魂の声」を瞬間的に「想い見る」ことができます。それはひとつの霊感だったり、気配だったり、閃きなのですが、その人の世界の中にすっと入り込めるのです。

詳しくは、私のブログ「光の表現を目指して」(http://blogs.yahoo.co.jp/chinohoko) にて、またお知らせいたします。どうか楽しみにしていてください。

2006年12月6日
伊藤美露

追伸 アンノ・バーキンの詩集『Who Said the Race is Over?』(英語)は、アンノのWEBページ(http://www.anno.co.uk)から購入できます。アンノのページもぜひご覧ください。

 

Blog: 2006.12.06

 

☆ MIRO NEWS ☆ ブログ開設のご挨拶

Photo by Miro Ito, Himmel ueber Kamiuma, September 2006

 

個人の物語の宝庫の一つに名を連ねます。

http://blogs.yahoo.co.jp/chinohoko

 新しいコミュニケ−ションのあり方としてものすごい勢いで「裾野」を拡げつつある、ブログをついに開設いたしました。
 ブログは、未来のコミュニケ−ションを支配するであろう、個人の「物語」の宝庫です。
 私自身、ブログとWEB上のホームページの発信の違いについて、ずっと考えてきましたが、カフェとレストランの違いに似ています。贅を尽くし腕を振るった料理をお楽しみいただくのがホーム−ページならば、ブログの方は「立ち読み」といった感覚で、きちんとした気構えがなくても、出入りが自由にできます。

 私の場合、長年アーティストとして発信するスタイルに馴れきってしまったせいか、'98年からホームページは開いていますが(現在4度目のリニュアール終了)、この「立ち読み」感覚とはこれまであまり縁がありませんでした。「Photographer's Photographer」の正当派を目指す、もともとの「アーティスト気質」に加えて、ドイツ、アメリカ、日本と三つの国の間で、いつもイメージのもつ力を信じて、大きな目標を掲げて歩んできましたので、ますますこの傾向に拍車がかかっていました。

 さて、この「拾い読み」「飛ばし読み」感覚(ザッピング)が実はインターネットならでは、ユニークさなのですね。ある意味で、双六をふって「上がり」を目指すゲーム感覚で、いつも探したい情報(上がり)が先にあり、それを求めて、キーワードという「サイコロ」をふりふり、ネット上を泳いでいきます。「上がり」には結局行かず始末で、なんだか寄り道ばかりしてしまう私ですが、目標までのルートとなる行き方が「無限大」にあるのが、インターネットの大きな楽しみです。
 当たりとはずれも、いつも瞬間ごとにやってきます。何に出会うかは、運頼みですが、「Take Your Own Risk」のかけ声どおり、流れに身を委ねていくのが「サーフィン」に喩えられるのでしょうか。

 人生も同じシュミレーションが可能ですが、私の場合、写真だったり、ことばだったり、それも日本語だったり、ドイツ語だったり、英語だったり...と実にさまざまなルートを経てきたのですが、結局、目指すものは一つ、つねに現実から立ち顕われる「光の表現」を想い描いてきました。

 目下、デザイン専門出版社の依頼で「写真の教科書」(仮題)を執筆しながら、これまで写真を撮ることに縁のなかった方々にも、「イメージの宝庫」である写真の楽しみをきちんと伝えたいという思いが、日々募ってきています。そこで、写真家とは何を見つめているのか、現実の先に何を想い描いているのか、そうした「写真論」を詩やアートとクロスさせながら、実際の体験から綴るブログを始めました。まさに「光」を求めて、日々変更する「ルート」や寄り道、散歩の小径のお話です。

 これまで常に最高の素材(被写体)を求めて、揺るぎなき美の世界での「最高級」レストランを目指してきましたが、ここでちょっとカフェを副業に開店する料理人の気分です。カフェのメニューは、「感覚にやさしい」スピリチュアルなこころのときめきの世界にしたいと思っています。

 どうかお暇なときにでも、http://blogs.yahoo.co.jp/chinohoko までお気軽にお立ち寄り下さい。
 ご感想など、お待ち申し上げます!
 
2006年12月吉日
伊藤美露

 

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